熱田神宮です。

(HPからの引用ですが・・・)

熱田神宮の創始は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代、日本武尊は神剣を名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。以来伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。

という由緒だそうです。
西門から入りました・・し,広大ですので,一部です。(秋に名古屋国際会議場での学会がありますので,その際にテクテク倶楽部が出来れば,又,お参りしましょう)
本宮です。というかその中には入れませんので・・「本宮の拝所は外玉垣御門(とのたまがきごもん)の前で、この御門と四尋殿(よじんでん)を併せ拝殿と称し、東西翼廊を付設しています。」のところです。
HPに拠りますと・・・・「熱田の杜(もり)奥深く鎮まります御本宮は、明治26年までは尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに御改造されました。 昭和20年3月・5月2回の戦災を受けましたが、昭和30年10月に御造替されました。」という歴史だそうです。
会議場の方から来て,最初は下知我麻神社です。摂社ですが,外を向いていて・・なるほど,旅の神でしょうか?
西門の石灯籠です。
菅原社・・・は,その通り,道真公を祀る神社ですね
又兵衛・茶席です。
合掌造りの原型だとか・・・。
手水舎の横の鳥居(中国の人たち・・学会の参加者かなぁ・・・?・・・が,鳥居の上に石を投げ上げていました・・・ってこれ,周防では当たり前のことらしいですが・・・)
大楠も,多くあります。そのうちの一つが,龍影閣(明治11年10月26日、明治天皇が北陸・東海両道を御巡幸の途次、愛知県に御臨幸遊ばされた際に便殿(びんでん:休息場所)として造られたもの)の手前にあります。確かに,大きい! そして,ご神木としての威厳もあります。
本当に境内は広いですし,そこここに摂社や倉の様なものもあります。
さて・・・今回は時間もなく・・・本宮の後,神楽殿から御田神社・清水社の方を少しお参りしたに,留めました。
さらずの梅・・・がある辺りです。
横には,西楽所があり,端整な顔立ちの建物です。西楽所は貞享3年将軍綱吉の再建で神宮にあっては数少ない明治以前の建造物の一つだそうで,
5月1日の舞楽神事ではここで楽が奏され、5月8日の豊年祭には畠所・田所の模型が奉飾され」るとのことです。
大きな幹の楠はそこここにもあります。
神楽殿の様子と・・・東北方向の摂社です。

御田神社では,御田植祭も行われ,韓神舞というのも行われるそうです。

そして,清水社は「祭神は水をつかさどる神様である罔象女神(みずはのめのかみ)を祀り」,「その水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を洗えば肌がきれいになるという信仰があ」るそうです。

という間に暮れなずんで・・学会に戻りました。


御田神社


清水社